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もう息子には会えないと、思っていました。
『母と暮せば』 6.15(水)ブルーレイ&DVD Release キャスト
解説 戦後70年―。山田洋次監督が長崎を舞台に描く、母と息子の愛情の物語、『母と暮せば』がいよいよ公開されます。
イントロダクション 「しょうがないよ、そいが僕の運命さ。」
イントロダクション
終戦から70年。作家・井上ひさしさんの願いを、山田洋次監督がついに映画化します。
「父と暮せば」で広島を、未完となった「木の上の軍隊」で沖縄を舞台に描いてきた井上ひさしさんが、強く書きたいと考えていたのが、長崎を舞台にした物語でした。そして、タイトルは「母と暮せば」だと、たびたび口にされていました。その話に強い衝撃を受けて、監督はこの物語をつくることを決意しました。
山田監督は「父と暮せば」と対になるような作品にしたいという思いで、「父と暮せば」の広島を舞台に原爆で死んだ父親と生き残った娘の物語を、長崎で原爆に合って死んでしまった息子と、残された母親の物語として描くことにしました。

慎ましく生きる市井の人々を丹念にリアルに描いてきた山田監督が、CGを多用して亡霊の息子を描き、1948年の長崎を再現、夢と現実が美しく交わる世界を描くという新たな創造の世界を作りだし、いよいよ完成しようとしています。その根底にあるのは、山田作品で変わらず描かれる人間の愛情のドラマです。
これは、これからもずっと残るであろう、やさしくて悲しい物語なのです。
イントロダクション 「浩二、お前はもうこの世の人じゃなかやろ。 そこをよう考えてちょうだい。」
イントロダクション
母親・伸子役には、近作『母べえ』、『おとうと』でも主演を演じた吉永小百合、息子・浩二役にはクリント・イーストウッド監督作『硫黄島からの手紙』で海外からも高い評価を得た二宮和也、そして浩二の恋人・町子役には『小さいおうち』で第64回ベルリン国際映画祭の最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞したことが記憶に新しい黒木華、町子の新たな恋人・黒田役には『母べえ』以来2度目の山田監督作品への出演で、吉永小百合とも2度目の共演となる浅野忠信、伸子のことを気にかけている通称“上海のおじさん”役には、舞台を中心に精力的に活躍し、映画出演は88年の『椿姫』以来となる加藤健一という、理想的で実力あるキャスティングが実現しました。
イントロダクション
イントロダクション
そして、今回音楽を担当するのは、世界を舞台に活動している坂本龍一。
かねてより『男はつらいよ』のファンでもあったという氏が初めて山田作品に参加し、映像に美しい旋律を重ね、作品に更なる豊かさを加えます。

『母と暮せば』は、2015年4月26日(日)にクランクインし、東京のセットを中心に一部ロケ撮影を行い、7月15日(水)に長崎でクランクアップ、仕上げ作業を経て秋に完成し、12月12日(土)に全国の劇場にていよいよ公開されます。どうぞご期待ください。
イントロダクション 「50年以上の間、たくさんの映画を作ってきましたが、終戦70年という年にこの企画に巡り合ったことに幸運な縁と運命すら感じています。井上ひさしさんが、『父と暮せば』と対になる作品を『母と暮せば』という題で長崎を舞台につくりたいと言われていたことを知り、それならば私が形にしたいと考え、泉下の井上さんと語り合うような思いで脚本を書きました。生涯で一番大事な作品をつくろうという思いでこの映画の製作にのぞみます。」
物語 やさしくて、悲しい。山田洋次監督初のファンタジー。
ストーリー
ストーリー
「母さんはあきらめが悪いから、なかなか出てこられんかったとさ」。

1948年8月9日、長崎。助産婦をして暮らす伸子(吉永小百合)の前に、3年前に原爆で亡くしたはずの息子・浩二(二宮和也)がひょっこり現れる。伸子は呆然とした。その日浩二の墓の前で「あの子は一瞬の間に消えてしまったの。もうあきらめるわ」と言ったばかりだったのだ。

「あんたは元気?」そう伸子が尋ねると、浩二は腹を抱えて笑い出した。
「元気なわけなかやろう。僕はもう死んでるんだよ。母さん、相変わらずおとぼけやね」。
ストーリー
ストーリー
その日から、浩二は時々伸子の前に現れるようになった。
二人は、楽しかった思い出話から他愛もないことまでたくさんの話をするが、一番の関心は、
医学生だった浩二の恋人・町子(黒木華)のことだった。結婚の約束をしていた浩二を突然失ってしまい、
心の行き場もないまま、この3年ずっと伸子を気にかけてくれる優しい娘だった。

「浩二、もし町子に好きな人が現れたら、あなたは諦めるしかないのよ。
だって、あなたはもうこの世の人じゃなかやろ。あの子の幸せも考えなきゃね」。

伸子の言葉に、浩二は顔色を変えて抗議する。「嫌だ!そんなの嫌だ。町子には僕しかおらん!」わかっているけれど、どうしても自分の死を受け入れることができない浩二。

伸子はそんな息子が抱きしめたいほど愛しかった。ふたりで過ごす時間は特別なものだった。
奇妙だったけれど、喜びに満ちていた。その幸せは永遠に続くようにみえたが――。
ストーリー
吉永小百合 |福原伸子|
吉永小百合 |福原伸子|
二宮和也 |福原浩二|
二宮和也 |福原浩二|
黒木 華 |佐多町子|
黒木 華 |佐多町子|
浅野忠信 |黒田正圀|
浅野忠信 |黒田正圀|
加藤健一 |上海のおじさん|
加藤健一 |上海のおじさん|
広岡由里子 |富江|
広岡由里子 |富江|
本田望結 |風見民子|
本田望結 |風見民子|
小林稔侍 |復員局の職員|
小林稔侍 |復員局の職員|
辻 萬長 |年配の男|
辻 萬長 |年配の男|
橋爪 功 |川上教授|
橋爪 功 |川上教授|
キャスト

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スタッフ
監督・脚本 山田洋次
1931年生まれ、大阪府出身。幼少時代を満州で過ごす。54年、東京大学法学部卒。同年、助監督として松竹入社。61年『二階の他人』で監督デビュー。69年『男はつらいよ』シリーズ開始。以降『家族』(70)、『故郷』(72)、『同胞』(75)、『幸福の黄色いハンカチ』(77)、『息子』(91)、『学校』(93)など多数の代表作がある。02年、『たそがれ清兵衛』では日本の映画賞を総なめにし、第76回米国アカデミー賞外国語映画部門ノミネートを果たす。『武士の一分』(06)の大ヒットに続き、『母べえ』(08)が第58回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され話題になる。10年には『おとうと』が公開、第60回ベルリン国際映画祭のクロージング作品として上映、特別功労賞にあたるベルリナーレ・カメラを受賞。監督50周年にあたる13年には小津安二郎監督へのオマージュ『東京家族』が、14年には『小さいおうち』が公開され第64回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品、銀熊賞を受賞した。また、10年、新派公演「麥秋」で本格的な舞台脚本・演出を手がけ、12年には第二弾の「東京物語」が上演、13年には鄭義信脚本の「さらば八月の大地」を演出した。96年に紫綬褒章・朝日賞、02年に勲四等旭日小綬章、04年に文化功労者、08年より日本藝術院会員、12年に文化勲章受章、14年東京都名誉都民顕彰。最新作『家族はつらいよ』(16)が待機中。
作家 井上ひさしさん 略歴
1934年生まれ、山形県出身。上智大学外国語学部卒。56年、浅草フランス座の文芸部員兼進行係を経て、64年、国民的人気番組となったNHK連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」を共同執筆する。69年、「日本人のへそ」で演劇界にデビュー。以降、小説、エッセイの分野にも活動の場を広げ精力的に執筆活動を行う。「道元の冒険」(岸田戯曲賞・芸術選奨新人賞)、「手鎖心中」(直木賞)、「吉里吉里人」(読売文学賞、日本SF大賞)、「東京セブンローズ」(菊池寛賞)など小説・戯曲で多数の文学・演劇の各賞を受賞。84年に自作の戯曲のみを上演する劇団こまつ座を旗揚げし、「頭痛肩こり樋口一葉」、「太鼓たたいて笛ふいて」(毎日芸術賞、鶴屋南北戯曲賞)ほか次々と新作を書き下ろす。94年に上演された「父と暮せば」は04年に映画化され話題となった。また、九条の会呼びかけ人や世界平和アピール七人委員会に名を連ね、社会問題にも積極的に発言した。04年文化功労者、09年恩賜賞日本藝術院賞受賞、10年読売演劇大賞芸術栄誉賞を受賞。10年、永眠。死の直前まで執筆し未完となった沖縄戦を描いた作品「木の上の軍隊」が、その遺志を継いで13年、蓬莱竜太・作、栗山民也・演出で上演された。また、時代小説「東慶寺花だより」が『駆込み女と駆出し男』として15年に映画化公開された。
スタッフ
音 楽 坂本龍一
1952年生まれ、東京都出身。1978年『千のナイフ』でソロデビュー。同年『YMO』を結成。散開後も多方面で活躍。『戦場のメリークリスマス』(83/大島渚監督)で英国アカデミー賞他を、『ラストエンペラー』(88/ベルナルド・ベルトルッチ監督)の音楽では米国アカデミー賞オリジナル音楽作曲賞、グラミー賞他を受賞。常に革新的なサウンドを追求する姿勢は世界的評価を得ている。環境や平和問題への言及も多く、森林保全団体「more trees」や東日本大震災被災地の子供たちと音楽を通じて交流する「東北ユースオーケストラ」の創設なども行う。2013年は山口情報芸術センター(YCAM)10周年事業のアーティスティック・ディレクター、2014年は札幌国際芸術祭2014のゲストディレクターとしてアート界への越境も積極的に行っている。音楽を手掛けた主な映画は、『シェルタリング・スカイ』(91/ベルナルド・ベルトルッチ監督)、『ハイヒール』(92/ペドロ・アルモドバル監督)、『御法度』(99/大島渚監督)、『ファム・ファタール』(03/ブライアン・デ・パルマ)、『星になった少年』(05/河毛俊作監督)、『シルク』(08/フランソワ・ジラール監督)、『一命』(11/三池崇史監督)など。オリジナル・サウンドトラック「母と暮せば」品番 RZCM-5999012月9日発売価格 2,200円(税別)commmons(Avex Music Creative Inc.)
脚 本(共同脚本) 平松恵美子
1967年生まれ、岡山県出身。93年、『学校』(山田洋次監督)に参加し、以後『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(95)、『たそがれ清兵衛』(02)、『隠し剣 鬼の爪』(04)などに助監督として参加する。その他、共同脚本作品として、『さよなら、クロ』(03/松岡錠司監督)、『釣りバカ日誌16』(05/朝原雄三監督)のほか、山田洋次監督作品『武士の一分』(06)、『母べえ』(08)、『おとうと』(10)、『東京家族』(13)、『小さいおうち』(14)、『家族はつらいよ』(16)など。13年、『ひまわりと子犬の7日間』では初監督を務めた。
撮 影 近森眞史
1958年生まれ、高知県出身。松竹大船撮影所にて川又昂、高羽哲夫両キャメラマンに師事し、『疑惑』(82/野村芳太郎監督)、『黒い雨』(89/今村昌平監督)、『息子』(91/山田洋次監督)など数多くの作品に携わる。以後、『釣りバカ日誌14』~『釣りバカ日誌20』(03~09/朝原雄三監督)、『おとうと』(10/山田洋次監督)、『京都太秦物語』(10/阿部勉・山田洋次監督)、『東京家族』(13/山田洋次監督)、『ひまわりと子犬の7日間』(13/平松恵美子監督)、『小さいおうち』(14/山田洋次監督)などを手がける。最新作は『家族はつらいよ』(16/山田洋次監督)。
美 術 出川三男
1936年生まれ、東京都出身。松竹大船撮影所の美術を支えてきたベテラン。75年『男はつらいよ 葛飾立志篇』から、最終作の95年『男はつらいよ 寅次郎紅の花』までの『男はつらいよ』シリーズの美術をすべて手がけた。その他、『幸福の黄色いハンカチ』(77)、『キネマの天地』(86)、『息子』(91)、『学校』シリーズ(93~00)、『たそがれ清兵衛』(02)、『隠し剣 鬼の爪』(04)、『武士の一分』(06)、『母べえ』(08)、『おとうと』(10)、『東京家族』(13)、『小さいおうち』(14)など、多数の山田洋次監督作品の美術を担当している。
照 明 渡邊孝一
1956年生まれ、福島県出身。大映テレビ制作の「赤いシリーズ」などのTVドラマに助手として参加。その後に照明技師として独立する。主な映画作品に、『どついたるねん』(89/阪本順治監督)、『バタアシ金魚』(90/松岡錠司監督)、『いつかギラギラする日』(92/深作欣二監督)、『ピンポン』(02/曽利文彦監督)、『阿修羅のごとく』(03/森田芳光監督)、『カムイ外伝』(09/崔洋一監督)、『ひまわりと子犬の7日間』(13/平松恵美子監督)の他、主な山田監督作品として、『おとうと』(10)、『東京家族』(13)、『小さいおうち』(14)、『家族はつらいよ』(16)など。
編 集 石井 巌
1933年生まれ、神奈川県出身。松竹大船撮影所の編集技師として、67年『九ちゃんのでっかい夢』から山田洋次監督作品を担当。『吹けば飛ぶよな男だが』(68)、『喜劇 一発大必勝』(69)、また『男はつらいよ』シリーズの第1作から最終作までを手がける。その他、主な山田監督作品として、『家族』(70)、『幸福の黄色いハンカチ』(77)、『息子』(91)、『学校』シリーズ(93~00)、『たそがれ清兵衛』(02)、『隠し剣 鬼の爪』(04)、『武士の一分』(06)、『母べえ』(08)、『おとうと』(10)、『東京家族』(13)、『小さいおうち』(14)、『家族はつらいよ』(16)などを担当している。
録 音 岸田和美
1952年生まれ、神奈川県出身。74年、松竹大船撮影所入社。93年、『スペインからの手紙 ベンポスタの子どもたち』(朝間義隆監督)で録音技師デビュー。以後、『サラリーマン専科』3部作(95~97/朝原雄三監督)、『釣りバカ日誌イレブン』(00/本木克英監督)、『天国の本屋~恋火』(04/篠原哲雄監督)、『ひまわりと子犬の7日間』(13/平松恵美子監督)等を手がける。山田監督作品では、『たそがれ清兵衛』(02)、『隠し剣 鬼の爪』(04)、『武士の一分』(06)、『母べえ』(08)、『おとうと』(10)、『東京家族』(13)、『小さいおうち』(14)、『家族はつらいよ』(16)などに参加。
プロダクションノート
プロダクションノート
長崎-1945.8.9-から遠く離れて
2014年秋、『家族はつらいよ』(2016年3月12日公開)を撮り終えた山田洋次監督は休む間もなく次の作品の撮影準備に入った。『母と暮せば』--故・井上ひさしさんが長崎を舞台にした作品を作りたいと願っていた企画である。2013年の夏に、井上ひさしさんの三女・麻矢さんからこの話を聞いた山田監督は、1945年8 月9日--あの長崎への原爆投下から70年目となる節目の年(2015年)にこの映画を公開する意義を感じ、前年から映画化に取り組んでいたのだった。しかし残されていたのは題名のみであったため、長崎の原爆に関する資料を読み込み、また当時の長崎を知る方々にお話をうかがいながら「原爆という重く大きなテーマではあるのだけれど、母と息子の話としてならば僕の映画にできる。原爆で死んだ長崎医科大学の学生である息子が母親の元に亡霊としてあらわれるという設定で・・・」と構想をふくらませていった。

なかでも当時長崎医科大学の学生であった土山秀夫元長崎大学学長から貴重な示唆を頂いた。「憲兵から息子を連れ戻す母」のエピソード等、土山さんの実体験を参考にするなど、長崎の様々な想いを縫いあげるように山田監督は「井上ひさしさんと一緒に書くつもりで」脚本を完成させた。
プロダクションノート
2015年2月、山田監督は長崎で取材を行うほか、出演者の吉永小百合さん、二宮和也さん、黒木華さんとも長崎で原爆資料館や映画の舞台となる辺りを訪れた。異国情緒あふれる港町、すりばち状の地形にびっしりと家の連なる坂の町、稲佐山からの美しい夜景・・・しかしその背後の歴史を知るにつれ、70年前に長崎は原爆の被害にあったということを忘れてはいけないのだと、スタッフ・キャスト一同想いをあらたにするのだった。
プロダクションノート
亡霊はあらわれる--- 母の息子への想い
撮影は2015年4月26日から東宝スタジオ(東京・砧) の第8ステージではじまった。これから二ヶ月間、母親役の吉永小百合さんと息子役の二宮和也さんを中心にした「福原家」のセット撮影が行われていく。山田監督は「何本やっても、何歳になっても初日は緊張するもんだよ」とリハーサルを繰り返してじっくりと撮影に臨む。吉永さんを相手に「初めは緊張していた」二宮さんだがすぐに山田組のペースをつかみ、現場にとけ込んでいった。
プロダクションノート
シーン17、母の前に息子の亡霊がはじめてあらわれる場面の撮影。母が久しぶりに会った息子(亡霊)につい「あんたは元気?」と言ってしまう。「元気なわけなかやろう。ぼくは死んでるんだよ。母さん、相変わらずおとぼけやね」と息子。二人の楽しい掛け合いに、現場では厳しい山田監督も笑顔がこぼれる。

吉永さん「二宮さんとは、はじめて会った時から本当に自分の息子じゃないかと思うぐらい寄り添って演じることができました。本当に素晴らしい存在で私は引っ張ってもらいました。かわいい息子です」

二宮さん「吉永さんに小さい頃の写真を見せてほしいといわれ、僕も久しぶりに自分の昔の写真を見直したんです。そのことで実際には共有していない思い出が想像できました」

デジタル化が進む映画界だが、今回も山田組はフィルムでの撮影である。ワンカットに時間をかけて丁寧にゆっくりと撮影が進んでいく。今作は一つ一つのカットが長く、演じる吉永さんと二宮さんの台詞も長くなり大変なのだが、二人は集中の度合いを高め本番に向け何度もテストを重ねて行く。

山田監督は「吉永さんと二宮君の二人は、時として恋人に見えるような甘さがあって、そういう独特の母子の物語になっている」と手応えを感じていた。
プロダクションノート
シーン38、「浩二、お前はもうこの世の人じゃなかやろ」と母親に言われ、涙を流す浩二。思わず抱きしめようとする母親の腕のなかで消えていく浩二・・・。二宮さん演じる浩二は、長崎医科大学の学生で長崎の原爆で授業中に亡くなり、3年後に母親の元に出現する亡霊。山田監督は撮影前に『雨月物語』(53/溝口健二監督) や『美女と野獣』(48/ジャン・コクトー監督)を見るなどして亡霊の描写を考え、ファンタジー的要素として浩二は「悲しくなり涙を流すと姿が消えてしまう」設定とするなど山田監督作品では珍しく積極的にVFX を導入。浩二がタクトを振ると突然オーケストラが現れたり、浩二が寮歌を唱うと背後に仲間の高校生が現れ大合唱となったり、これまでにないファンタジックな場面が作り出された。必要であれば新しいことにも意欲的に挑戦する山田監督。

「生涯で一番大事な作品をつくるくらいの気概を持っている」という監督の想いにスタッフ、キャスト一丸となって撮影は進んでいった。
プロダクションノート
シーン54、恋人の町子を諦める決心を浩二が母親に語るいう重要な場面。亡霊の設定上、親子でありながらお互いに相手の身体を触れることはできないなかでの芝居。しかし撮影が進むにつれ息のあった親子となっていく吉永さんと二宮さんの演技に山田監督も信頼を置いていた。細かい仕草一つ一つに出される指示をすぐに吸収し軽やかに体現してみせる二宮さん。そんな“息子”を頼もしく感じていた吉永さん。二人は入念なリハーサルを重ねて本番に挑む。「町子が幸せになってほしいというのは、実はぼくだけじゃなくて、ぼくと一緒に原爆で死んだ何万人もの人たちの願いなんだ」-- 
作品のテーマともいうべき重要な台詞に監督の“ O K ” が出る。撮影を終え「お疲れさまでした」とセットを去っていく二人の後ろ姿にあらためて、二宮さんは亡霊という難役を、また吉永さんは亡霊である息子を受け止めながらまた現実の人とも接するというさらに難しい役に挑んでいるのだと感じるのであった。
プロダクションノート
長崎-1948-から遠く離れて
映画は原爆から3年後、1948年(昭和23年)の長崎が舞台。メインセットである「福原家」は、美術スタッフが当時の資料をもとに長崎らしさも取り込んで建てられた。その準備段階から『小さいおうち』に続き画家の藪野健さんが美術アドバイザーとして参加、戦前の建築や鉄道などに造詣が深く、山田監督のリクエストに応え、資料の少ない1948年の長崎の風景を即座に描き出した画は、美術のみならず時には撮影イメージとして役立ったものだ。
プロダクションノート
シーン11、黒木華さん演じる町子が浩二の母、伸子のもとに墓参りの迎えにくる場面。山田監督は「福原家」のセットに入ると、まず勝手口の扉の立て付けを悪くしてほしいとスタッフに指示。さらに町子の帽子をもう少し工夫できないか、町子の鞄はもっと他に・・・となかなか撮影がはじまらない。山田監督はセットのみならず帽子や鞄など小道具にいたるまで、時代を表現したいと気を配っているのだった。

町子役の黒木華さんのちょっとしたしぐさにも注文が飛ぶ。当時貴重だった卵の持ち方、下駄の切れた鼻緒の結び方、髪のかきあげ方・・・。食糧などすべての物資が不足していた時代の振る舞いを求められた。

黒木さん「戦争やその当時を私は知らない世代なので、監督に話を聞いたり資料を読んだりして、町子という役を前向きに取り組んでいきました」

山田監督の演出によってセットや小道具だけでなく演技の中にも時代の空気感を生み出していく。

今回、俳優陣を悩ませた一つが長崎弁。山田監督は役柄によって方言の度合いを微妙に変化させた。リアルを追求しすぎると他県の人(あるいは現代の人)には何を言っているのかわからなくなる恐れがあるからだ。一番強く方言を出すことになったのは“ 上海のおじさん” を演じた加藤健一さん。「この作品はなんとしても出演したいと思ってました」映画出演は実に27年振りとなる演劇界のスター、撮影に立ち会った長崎人も驚くほど長崎弁が板についていた。

シーン54、吉永さん演じる伸子に振られるシーンなど可笑しくも哀感漂うシーンが撮り上げられていった。
プロダクションノート
「福原家」の場所は長崎市をくまなくロケハンして設定しているのだが、もちろん1948年と現在では風景が変わっているため長崎で撮影できず、家の表の坂道も撮影所のセットに作り込まれた。家の部分と坂道を別々に2つのセットを作って再現し、対岸に見える長崎の風景はブルーバックで撮影して後でCG合成される。

6月末、セットでの撮影も終盤となった。シーン64、町子が恋人の黒田を連れてくる場面。黒田役は浅野忠信さん、山田監督と吉永さんとは『母べえ』以来、また井上ひさしさん原作の映画『父と暮せば』にも出演と本作に運命づけられての登場となった。黒田を伸子に紹介し帰ろうとする町子・・・しかし取って返し伸子に抱きつく場面は、思わず撮影しているスタッフの涙を誘うのであった。「ごめんなさい。私、浩二さんになんてお詫びすればよかやろか・・・」

2ヶ月に及ぶセットの撮影は終了。長崎医科大学のシーンは明治村で、鉄道シーンは大井川鐡道、その他墓地、雨の通学路などの近郊ロケの撮影も終え、あとは長崎ロケーションを残すのみとなった。
プロダクションノート
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